真田氏は信濃国小県郡真田(現在の長野県上田市真田町)を本拠地とした一族である。江戸時代に松代藩主真田家が編纂した系図によれば、滋野氏の流れをくむ海野氏の分家とされるが、この系図には後年の創作とみられる部分もあり、確実な史料による裏付けが乏しい点も指摘されている。戦国時代には武田氏に従属する国衆として活動した。
真田幸隆の子である真田昌幸は、武田氏の滅亡後に独立した大名となり、上田城を築いて本拠とした。天正13年(1585年)と慶長5年(1600年)の二度にわたり、上田城に攻め寄せた徳川方を撃退し、その武名を広く知られることとなった。慶長5年の戦いの際、昌幸・信繁父子は西軍に、昌幸の長男信之は東軍に分かれてそれぞれ加わった。
昌幸の子である真田信繁は、大坂の陣で豊臣方に加わり、大坂城の南に真田丸と呼ばれる出城を築いて徳川方を撃退した。信繁の実名は信繁であり、「幸村」の名は同時代の史料には見られず、後世に広まった呼称であることが確認されている。