上杉謙信は享禄3年(1530年)、越後国春日山城で越後守護代・長尾為景の子として生まれた。初名は長尾景虎で、後に関東管領上杉憲政の養子となり上杉姓と関東管領職を継いだ。武神・毘沙門天を篤く信仰し、本陣旗に「毘」の字を用いたことで知られる。天正6年(1578年)、春日山城で没した。享年49。
甲斐の武田信玄が北信濃へ勢力を伸ばすと、謙信は信濃の武将たちの要請を受けて信玄と対立し、永禄4年(1561年)の第四次合戦(八幡原の戦い)を含む計5次にわたる川中島の戦いを繰り広げた。両軍とも多数の死傷者を出したが、決定的な決着はつかなかった。
謙信は生涯妻を娶らず、養子の景勝と景虎のいずれを後継とするか定めないまま没したため、家督をめぐる御館の乱が起きた。乱を制した景勝が上杉家を継ぎ、後の米沢藩主上杉家の祖となった。なお「敵に塩を送る」の逸話は後世の創作とされ、確実な史料の裏付けはないとされている。