武田信玄は1521年、甲斐国の守護大名・武田信虎の嫡男として生まれた。1541年、21歳のときに父信虎を甲斐から追放して家督を相続し、以後は隣国・信濃への侵攻を進めた。信濃の大名たちとの戦いの中で村上義清を信濃から退けるなどし、「甲斐の虎」と呼ばれるようになった。
信濃をめぐる勢力争いの過程で越後の上杉謙信と長期にわたり対峙し、川中島では五次にわたるとされる合戦を繰り広げた。軍事面だけでなく内政にも力を注ぎ、甲州法度之次第の制定や、釜無川・笛吹川流域の治水事業である信玄堤の造成など、領国経営の面でも実績を残した。
1572年には遠江国に侵攻し、三方ヶ原の戦いで徳川家康を破った。その後三河国まで進んだが病状が悪化し、甲府へ帰る途中の1573年4月12日に死去したと伝えられる。